あと2日

そして,今日は最後から二日目である。今日はレイノー先生の外来であった.今日も、患者さんの問診をして,診断をして,薬を決めて,先生に発表して,処方をしてもらっていたら終わった.そのあと、チャートを写してかえる。
帰ってから、時間があったので,ジェンに向けて長いメールをかいた。本当に4週間ありがとう。という内容だ.
多分,僕はここをmissすると思う。これは、昔、先生として、教育実習で2週間ほど小学校にいったときと同じ感じの感情を持つのだと思う。あの2週間が、終わったとき、非常に寂しかったのを覚えている。人と別れるのはやはり悲しいことがおおいけど、それでも、出会わないよりはよほどましだと思うことにしているのです。皆さんのおかげで外来で、患者さんと話をすることが出来ました.その中で今日あった患者を含め何人かの患者さんは僕のことが好きだといってくれました.日本から学生が来て,ここで,患者さんの与診をとって、なるべく時間をかけて話をしたことが良かったのかもしれない。本当にそれはうれしい経験でした.それも皆さんのおかげです。皆さんに、本当に感謝の気持ちを持っています。
という内容でかいた。
その他,ここであったいろいろな人にメールをしてたら、遅くなっていたので,寝ることにした.

今日メールを見ていたら、この間受けたcooporate financeの、得点が帰ってきていた.やはり満点であった.当然だよね.とか思いながらもやはりうれしい。明日シャンに自慢をしなくてはいけないと思った.

プレゼン

実は僕は今,ボストン空港にいる。ローガン空港とか言う名前なのだが,ここで、日本への帰国便を待っている。あと1時間もすれば,ゲートも開くことだと思う。1週間ほど、日記を書くのをおくれてしまったので,なるべくまとめて書こうと思う.何だかんだいって,いろいろ忙しかった。





今日は,発表の日だ.朝,なぜか,ぎりぎりの時間に起きて,急いでTにのって,MGHまで行く.なぜか,今日のTはのろく,少しイライラしながら、ちょうどぎりぎりの時間に会議室についたら,やはりいつものとうり誰も来ていなかった.少しづつプレゼンを直しながら彼らがくるのを待つ。10分ぐらい遅れて、今日のTが鈍いことを文句いいながらみなが集まった。

リサ,アッシュ、僕の順で発表することが決まった.海外の学生なので,いろいろな面で礼儀を示したくれたのだと思う。

リサは、小児科希望なので,コクサッキーウイルスの話をしていた.一つの症例に対して,どのように経過をしていったかを話して,結局診断はつかなかったのだが治っていった過程を話してくれた.

アッシュはメルケル細胞癌の話をしていた.病理でしか学んだことのなかった細胞が、実は癌かもするのだということを聞いて,しかも、ガン化したときは非常に鑑別がむづかしくて、見つかったときには予後が悪いことを話していた.

そして僕の番だ.僕の話は、ヘルペスの話であった.僕はこの6週間でヘルペスのケースを6ケース見た.しかし、そのうち3つは珍しいタイプで、しかも、そのうち一つは中国の皮膚科助教授であるシャンですら見たのは始めてであった.まずは、僕が外来で見た患者の話から始める。最初に、皮膚科の3角形を見せ、自分が日本で学んだ皮膚科を見せる。炎症がひどくなって,治癒していく過程でヘルは変化の話をして,ヘルペスが、なぜ,その炎症の最初の過程である紅斑と丘疹をスキップして水疱がいきなりできるかの説明をする。病理写真を見せながら,ここの相の接着分子が発現が減少して、ベリっとはげて水疱ができるのだと話をした.

最初の患者は、僕が外来を取り始めて初日にやってきた。話を聞いていると右の下腹部痛である。非常に面白いことに、まったく皮疹がなく、皮膚は全く正常の患者であった.当然、痛みのPQRSTを問診したこと,局在性の体性痛であること、CVA tenderness陰性、Carnett's sign陽性であったこと、そして、体表の痛みと診断して,痛みの性状からZoster Sine Herpeteであると診断した経由を話した.しかし、結局、2週間たった痛みであったため、治療をしなかったことを話した.全く皮疹のない体表の写真を見せたときには、プレゼンを見ていた皮膚科の先生は驚いていた.皮膚科は、やはり皮疹があって何ぼであるので,4週間のまとめとして,湿疹のない症例を提示した人は今までいないと思う。Carnett's signの話をしたときにも、予想どうり、アッシュから”それは何ですか”と質問がきたので,用意しておいた解答をした.リサは知っていたみたいであった.
そして次の症例は、外来を取り始めて、2日目ぐらいにやってきた,eczema herpeticumの症例だ.普通herpesは、粘膜である唇とかにできるのだが,atopyがある患者では、それなりにいろいろなところにできる。その状態をeczema herpeticumというのだが、その症例もそれなりにレアであったと思う。顔面の左右両側にあって、免疫不全状態で勿った人なので,zosterではなくてherpesと診断されたことを話した.
そして、最後はdisseminated zosterの例だ.この患者は入院患者として2週目に入院してきた.白血病によって、免疫不全状態の患者である。disseminated zosterは結構危険な状態であり、zosterが血中にでて、全身に分布する病態である。zosterの全身散布症例も、皮膚科の先生には非常にインパクトが強かったらしく、水疱を見せたとき、つい”yes”とか叫んでいた.水疱がヘルペスに比べて若干ピンク色なのが特徴である。
そして、最後に、僕は,4週で見たヘルペス族の症例は6つありましたがその3つは、通常と違うプレゼンテーションで現れました.どれも、それなりにレアであり,そのうち一つはすごくレアだっと思います。しかし、僕の回っていたbeth Israelのチームは充分に優秀でその全てをきちんと診断して,治療できました.現在、全ての患者さんは健康に戻ろうとしています。と、話して話を締めくくった.
皮膚科の発表が終わったあと、終わったあと,追加として,日本の医学部の話、日本の医療や保険の話、医療訴訟の話をして,1ヶ月間、非常にありがとうございました.本当に、偉大な経験をさせてもらったと思いますと話をして,僕からのプレゼンは終了した.


残念だったことは、やはり,こちらの人のようにスムーズに症例が発表できなかったことだ.例えば、笑いが起きるべきところとかは、僕がスライドのそこを音読する前に、彼らが目で読んでしまったりして先に笑いが起きてしまったりすることであった.4週間にして,初めての症例発表は、自分に多くの課題を残した.多分3人の中で,発表の内容は一番良かったと思う。しかし、プレゼンがテンポよく出来なかったことが残念に思われた.もっと練習すべきだったのだなどと思ったが、これは、今後いつかあるだろう次回への期待して、課題とすることにした.発表のコントロールを含め,こちらの人がどのように反応するかは、日本とは殆ど差がないことが分かった。笑うと思うところでは笑うし、質問がくるだろうというところでは質問がきた。

そのあと、ペプキンの授業を聴いて授業は終了する。

水曜日はフリーな日なので,今日は内科を見ようと思い,Dr. Wのところにうかがったが,どこぞに出かけていたので,先週と同じようにダナファーバーに出かけた.

アッシュと一緒にメラノーマ外来を見ていたら、ジェンからページが入り、これから,ローテートするからこいと言われたので,bethに行く。数人患者を見て,帰る。

今日は、まあまあがんばったので,いいご飯を食べていいはずだと思い、クーリッジコーナーの高そうな中華料理屋に行く。そこで,適当にオーダーをして食べて、かえって、ワインを飲みながらERを見て寝た.残念だったのは,中華料理屋で,頼んだものが,全く期待はずれだったことだ。

眠い

火曜日は,いつも、MGHで授業から始まる。
今日は,dog ear repairの話であった.moh surgeryとともに、皮膚癌の治療法で,なるべく傷を残さないためにおこなう方法であった.

今日から、また別の日本人がきているみたいであった.皮膚病理に名古屋大学から来ているといっていた.

昨日の疲れが残っているのか,あまり気合が入らない.しかし、やはり、気がつくと外来を終わっていた。今日は非常に忙しい日であったのだ.しかし、いつもいる黒人の学生がいないのが少し違うところだった.そのあと、適当に、途中まで出来上がったプレゼンをジェンに見せた.

ビックリしたのだが、こちらでは皮膚炎の三角形は学ばないらしい。プレゼンの最初にそれを入れてあり、それを見せたときにジェンは、始めてみたといっていた.僕は,この皮膚科の三角形が皮膚科の一番の基本だと思っている。炎症は、紅斑ー丘疹ー水疱ー膿疱ー糜爛ー痂皮ー落屑ー苔癬化・治癒との順番を起こしていく、したがって、例えば,何か病変を見たときに、丘疹がないのに、水疱があるのを見つけたら,水疱が起きる何かがそこに起きているのだと考える。例えば、ヘルペス属であったり、天疱瘡であったりするのだが,いつも考えるときに、そういうことを考えることにしている.逆に、丘疹があって,水疱があれば,ただの炎症なのだ.皮膚炎だろう。(大きさも違うのですが。)

今回は、ヘルペスの発表をすることにした.元塾の先生なので,ここでは負けられない。とおもって,いろいろな細かい策をいれこむ。ここで,こういう質問がきて,こう返すのだとかいろいろ考えて,プレゼンを作った。しかも、楽なのは、UpToDateをそのままコピーできることだ.日本でプレゼンを作るときは、基本的には翻訳をしているので,ワープロを打つ必要があるのだが、こちらの国のプレゼンを作るときは、カットアンドペーストをして,適当に削除をしたら出来てしまう。

明日も、勝負の日だ.ジェンに言わせると、全然大事じゃないのだから気合なんか入れるなとかいわれてしまうのだが、、、
ジェンに「今日は,疲れているように見えるよ、キチンと寝たの,そんなに大事じゃないので,よく寝なさい。」といわれてしまった.

まあ、I am OKと返すだけなのだが.ただの職業病です。

外来をとり始めて思うことなのだが,やはり,見る症例数は少なくなってしまう。そのかわし、自分の診断が正しいかをいつも確かめることになるので、それが役立つのだが.もう少し早くからやっても良かったなあと思ってしまう。

また月曜日だ

月曜日だ.
あさって,授業の一環で全員の学生の前でプレゼンをしなくてはいけないので,今日から一生懸命プレゼンを作っている.

今日も、MGHでjournal clubから始まった.今日の話は、皮膚癌を防ぐためにどのようなものを食べたら良いかなどのことであった.僕が知っている限りでは、vitamin Cと、vitamin Eをどう時に取っていた皮膚癌の既往歴のある患者において,遺伝子に関する紫外線の障害を調べると、優位に障害が少ないという結果が出ていたと思う.ほかに、お茶であるとか,いろいろなものが(ポリフェノールとかも)叫ばれているのだが,マウスとかで結果は出ることもあっても、人間で結果の出ることは少ない。したがって,よく判っていない商品が巷に出ることになる。ポリフェノールなどは、化学構造式を見れば,そんなものが役立つわけほとんどないだろうというのが一目瞭然だし、(だって,フェノールだし)コラーゲンとかも結局分解されてから吸収され、また、分解されにくいので,相当肌に対する効果は疑わしいと思う。腸内細菌叢から変わってくるのだとかいわれれば,そういうこともあるのかといわざるをえないのだが.(僕は信じないですが.それならビフィズスのほうがよほど信頼できます。)最後に、結局、マーケティングなんだよねとかいう話になっていた.私たちも、ハーバードの名前を付けて売ろうかとかいう話をしていた.

ハーバードにも、東大と同じように、外からきた人と、内側からそのまま上がった人の区別があるみたいであった.そういう会話はたまに、人々の間で出る。例えば,今日のこの会話も、外の人はハーバードの名前で商売することはためらわれるという感じのことを言っていたし、ハンナとジェンの間でもそういう話はたまにです。ハンナはエールからやってきていてるのだが、ジェンはよく、ハンナに、”ハンナみたいにここに外からきた人がここをすばらしいところにしてくれているのだ.内部の人は、たまに良くないときがある。”などといっている。ジェンは,生粋のハーバードの人で,研究に興味を持っている。最終的には教授とかになることを考えているのかもしれない。


外来をまわり,適当に病棟をみていたら、今日も全くもってすぐ過ぎ去ってしまった.相変わらず、外来を取って,チャートを写して帰る。そして帰ってプレゼン作りだ.MBAのほうの宿題も今日が締め切りなので,相当がんばって終えた.

気がつくと、眠っていた.起きて少しまた、プレゼンを作る。明日は、ジェンに見せることになっているのだ。

車で旅行

日曜日の分はパス。
ボストン郊外へ母たちと旅行をしていました.
あとでかきます。

北のほうの波止場町に行って,セーラムというところの魔女博物館をみてきて、母たちを空港まで見送って帰ってきた.
話すとこれだけなのだが,実際には車での移動だったので,結構時間がかかった.
景色は,雨ということもあって,非常にきれいであった.映画に出てきそうなくらいに。

しかし、あんまり感動はなったかもしれない.つくづく、自分は自分で動かないと感受性が高まらない人間だと思う。

今週の達成具合も、パスです。

外来を取り始めました.
日記は、だいぶ遅れまして、今書いています。
MBAは順調。

他は殆どしていないです。皮膚科の勉強だけ。

もはや目標の価値内のではないかと思えてきた.
終了後からがんばるんだね.

久しぶりのまともな日本食

また土曜日だ.今日は、母がうちに来てご飯を作ってくれる日だ。このことをうちの従兄弟に行ったら,なんて君はspoiled childなどと怒られてしまった.文化の違いだと適当に誤魔化しておいた.まあ、母にとっては、こういうことでもなければ海外にこれないので、良いチャンスではあると思う。外国人とはなすことも、こんなことがなければめったにないのだし。

朝起きてとりあえず、宿題を終え.病棟に生き、昨日入院した患者と、先週見ることの出来なかったジェンのチャートを見て,患者さんをおとづれたら、もう3時になっていた.

ボストン美術館に生き、母と会い、幾つかのスーパーマーケットに行きいろいろな買い物をして、家に帰ってきた.途中で,一緒に皮膚科を回っているハーバードの学生であるアッシュに会う。わざわざ、僕らのいる席までやってきて,母に挨拶し、また、僕のことをいろいろ誉めてくれた.非常にいい奴だ.
母の目は,僕のものとはやはり違って,キチンと的確なものをアメリカのスーパーであっても的確にピックアップして購入していた.僕の場合は,もうすこし、適当な買い物をする傾向にある.たとえば、肉食べたいなーで肉。果物食べたいなーで果物。みたいな感じである。それから、かえって,適当な料理をする。たまにたりないものがあったりして,ここの家の人にもらったりしている。

今日から,ユダヤ人であるこの家の人は、ご飯やパンが食べれなくなるみたいで,普段の日本食ではないのだが、オムレツ、イカの肉じゃが、そして、豆腐、などの食事をつくってもらった。やはり日本食はおいしい。ここの家の人も皆でパーティーをしていたので,ユダヤの食事と交換をしながらディナーパーティーをおこなった.
オムレツや肉じゃがはとてもこちらの日の好みに合ったみたいで,食べた瞬間から”Great!!”などと叫んでいた.こちらでは今,日本食は大ブームだ.健康に良いということになっている。
食事などをしていて,話などをしていたら時間は飛ぶように過ぎて,気がついたら9時になっていたので,母をホテルに送って帰って少し勉強をして,寝る.
何もしていない割には、結構疲れた.

沖縄中部の話を聞く

そして金曜日だ.今日も外来の日だ。朝早くから,出かけ,今日はハンナの外来を見る。暫く見たところで,昨日と同じように患者を取って良いかと聞いてみた.ハンナの返事も嬉いことにyesであった.早速、外来の患者を物色し始める。あまり、女性のスキンチェックを取ることは歓迎されないみたいであったので,なるべく男性と、女性の顔もしくは腕とかの湿疹を取らせてもらうことにする。今日もなぜかキャンセルが多かったので,あまり患者がいなかったのだが、全部で4人ぐらい取っていたら終了した.終わったあと、外来で入院患者のフォローをしていて、外来のチャートを写して終わる。PCOSの患者や、2人の帯状疱疹の患者をとったことが一番印象に残っている。一番良かったのは、学校の先生が外来にやってきていたことであった。自分が塾の先生であったこと,教育実習の話、日本の受験戦争と大学の話などをすることが出来た.分かれるときに、今日は話をすることが出来てとてもうれしかったといってくれた.それが一番うれしかったことである.

今日は、先月もあった日本の先生たちの会合のある日であった.先生は中部沖縄病院の研修担当の先生である、徳田先生の講演会であった.一番面白かったのは,中部沖縄病院の学生の選び方であった.どうも、人材選択のコンサルタントを雇っているみたいであって,そのおかげで、病棟での喧嘩が減ったといっていた.人材選択に対して、どのように選択しているかについて、いろいろな人から質問が出て,それに対して,答えてくれていた.キーワードは今まで,どのようなことをしてきたかであるらしい。それにたいして,こまかい点数をつけて決めるのだといっていた.

そのあと、先生たちとご飯を食べに行く。日本の医療、長生きの仕方,小児医療。アメリカの理学所見の話などをして,非常に楽しく会話をして終わる.

今日の話では,今アメリカで一番人気は皮膚科であるらしかった.そして、アメリカ人の心音の理学所見は80%間違えてあるということでもあった.

そのような話をしながら、ご飯を食べて,10時ごろになったので,かえって寝る。
今日も充実した一日だったと思う。