プレゼン

実は僕は今,ボストン空港にいる。ローガン空港とか言う名前なのだが,ここで、日本への帰国便を待っている。あと1時間もすれば,ゲートも開くことだと思う。1週間ほど、日記を書くのをおくれてしまったので,なるべくまとめて書こうと思う.何だかんだいって,いろいろ忙しかった。





今日は,発表の日だ.朝,なぜか,ぎりぎりの時間に起きて,急いでTにのって,MGHまで行く.なぜか,今日のTはのろく,少しイライラしながら、ちょうどぎりぎりの時間に会議室についたら,やはりいつものとうり誰も来ていなかった.少しづつプレゼンを直しながら彼らがくるのを待つ。10分ぐらい遅れて、今日のTが鈍いことを文句いいながらみなが集まった。

リサ,アッシュ、僕の順で発表することが決まった.海外の学生なので,いろいろな面で礼儀を示したくれたのだと思う。

リサは、小児科希望なので,コクサッキーウイルスの話をしていた.一つの症例に対して,どのように経過をしていったかを話して,結局診断はつかなかったのだが治っていった過程を話してくれた.

アッシュはメルケル細胞癌の話をしていた.病理でしか学んだことのなかった細胞が、実は癌かもするのだということを聞いて,しかも、ガン化したときは非常に鑑別がむづかしくて、見つかったときには予後が悪いことを話していた.

そして僕の番だ.僕の話は、ヘルペスの話であった.僕はこの6週間でヘルペスのケースを6ケース見た.しかし、そのうち3つは珍しいタイプで、しかも、そのうち一つは中国の皮膚科助教授であるシャンですら見たのは始めてであった.まずは、僕が外来で見た患者の話から始める。最初に、皮膚科の3角形を見せ、自分が日本で学んだ皮膚科を見せる。炎症がひどくなって,治癒していく過程でヘルは変化の話をして,ヘルペスが、なぜ,その炎症の最初の過程である紅斑と丘疹をスキップして水疱がいきなりできるかの説明をする。病理写真を見せながら,ここの相の接着分子が発現が減少して、ベリっとはげて水疱ができるのだと話をした.

最初の患者は、僕が外来を取り始めて初日にやってきた。話を聞いていると右の下腹部痛である。非常に面白いことに、まったく皮疹がなく、皮膚は全く正常の患者であった.当然、痛みのPQRSTを問診したこと,局在性の体性痛であること、CVA tenderness陰性、Carnett's sign陽性であったこと、そして、体表の痛みと診断して,痛みの性状からZoster Sine Herpeteであると診断した経由を話した.しかし、結局、2週間たった痛みであったため、治療をしなかったことを話した.全く皮疹のない体表の写真を見せたときには、プレゼンを見ていた皮膚科の先生は驚いていた.皮膚科は、やはり皮疹があって何ぼであるので,4週間のまとめとして,湿疹のない症例を提示した人は今までいないと思う。Carnett's signの話をしたときにも、予想どうり、アッシュから”それは何ですか”と質問がきたので,用意しておいた解答をした.リサは知っていたみたいであった.
そして次の症例は、外来を取り始めて、2日目ぐらいにやってきた,eczema herpeticumの症例だ.普通herpesは、粘膜である唇とかにできるのだが,atopyがある患者では、それなりにいろいろなところにできる。その状態をeczema herpeticumというのだが、その症例もそれなりにレアであったと思う。顔面の左右両側にあって、免疫不全状態で勿った人なので,zosterではなくてherpesと診断されたことを話した.
そして、最後はdisseminated zosterの例だ.この患者は入院患者として2週目に入院してきた.白血病によって、免疫不全状態の患者である。disseminated zosterは結構危険な状態であり、zosterが血中にでて、全身に分布する病態である。zosterの全身散布症例も、皮膚科の先生には非常にインパクトが強かったらしく、水疱を見せたとき、つい”yes”とか叫んでいた.水疱がヘルペスに比べて若干ピンク色なのが特徴である。
そして、最後に、僕は,4週で見たヘルペス族の症例は6つありましたがその3つは、通常と違うプレゼンテーションで現れました.どれも、それなりにレアであり,そのうち一つはすごくレアだっと思います。しかし、僕の回っていたbeth Israelのチームは充分に優秀でその全てをきちんと診断して,治療できました.現在、全ての患者さんは健康に戻ろうとしています。と、話して話を締めくくった.
皮膚科の発表が終わったあと、終わったあと,追加として,日本の医学部の話、日本の医療や保険の話、医療訴訟の話をして,1ヶ月間、非常にありがとうございました.本当に、偉大な経験をさせてもらったと思いますと話をして,僕からのプレゼンは終了した.


残念だったことは、やはり,こちらの人のようにスムーズに症例が発表できなかったことだ.例えば、笑いが起きるべきところとかは、僕がスライドのそこを音読する前に、彼らが目で読んでしまったりして先に笑いが起きてしまったりすることであった.4週間にして,初めての症例発表は、自分に多くの課題を残した.多分3人の中で,発表の内容は一番良かったと思う。しかし、プレゼンがテンポよく出来なかったことが残念に思われた.もっと練習すべきだったのだなどと思ったが、これは、今後いつかあるだろう次回への期待して、課題とすることにした.発表のコントロールを含め,こちらの人がどのように反応するかは、日本とは殆ど差がないことが分かった。笑うと思うところでは笑うし、質問がくるだろうというところでは質問がきた。

そのあと、ペプキンの授業を聴いて授業は終了する。

水曜日はフリーな日なので,今日は内科を見ようと思い,Dr. Wのところにうかがったが,どこぞに出かけていたので,先週と同じようにダナファーバーに出かけた.

アッシュと一緒にメラノーマ外来を見ていたら、ジェンからページが入り、これから,ローテートするからこいと言われたので,bethに行く。数人患者を見て,帰る。

今日は、まあまあがんばったので,いいご飯を食べていいはずだと思い、クーリッジコーナーの高そうな中華料理屋に行く。そこで,適当にオーダーをして食べて、かえって、ワインを飲みながらERを見て寝た.残念だったのは,中華料理屋で,頼んだものが,全く期待はずれだったことだ。