MGH

hisahiccup2005-04-05

2日目はMGHからである。MGHはMassachusetts General Hospitalの訳で、まあ、ここら辺の病院のなかで一番老舗であり、お父さん的な存在だ.日本でいうと、虎ノ門病院とかが相当するような気がする.
今日は,8時半からであったので,7時におきてTに乗りそそくさと出かける。今日はあたらしいところに出かけるので,時間を取った.チャールズ・MGHという駅で降りると、そこから一番大きく見える建物がMGHであるみたいであった.そして、皮膚科の建物にいくために、建物をと売り抜けて外にですと、突然、見たことがある建物がそこにあった.あれ、これ、エーテルドームじゃないかなあ.こんなところにあるんだ.と、少しビックリしてしまった.写真で見たものをあとで実物を予期せずに見るというのは変な気がする。ここは、世界で初めて麻酔を行ったところである.時間もあったので,とりあえず、写真をとっておいた。

今日は、適当にカンファレンスがあり、終わる.天疱瘡とかの話であった.しかし、余り昨日寝れなかったせいで、殆ど集中して聞けなかった.そして、次の題目はなぜかbasic scienceについての授業であった.突然セントラルドグマの話をし始めたので,あれ、これ俺詳しいのじゃないかなあと思い、俄然、集中しだした.こちらの発表は基本的には質問をしながら発表を進めていく。当然、日本人が優秀であることを示すチャンスを逃すほど、僕は人間ができていないので,がりがり質問に答えていくと、前に座っていたレジデントが、どうしましょ、私たちこんなこと知らないねえという感じのはなしをひそひそしていた.質問は、結構マニアックなものだった。例えば、DNAのピッチの長さであるとか,ヒストンにつく、塩基のペア数であるとか、ウラシルとチミンの化学構造の違いとかだ。こんなこと知ってもどうなるのだろうということばかりなのだが、敵の若いレジデント達もさるもので結構答える。一番うれしかったのは、ハーバードのレジデントから”3'のレプリケーションに必要なものは何ですか?”の質問に対して“オカザキ フラグメント”という答えが出たときだ。彼ら,岡崎先生が日本人だと知っているのかなあと不安になりながら,白血病で不幸な死をむかえた京都大学の優秀な研究者の名前がここで皆に知られていて、叫ばれていることに非常にうれしさを感じた.

と、ここまでは調子が良かったのだが,その次の皮膚病理クイズになった瞬間、彼らが何を話しているのか,目の前に見えているものがなんなのか,簡単な問題なのか難しい問題なのかがさっぱり分からなくなった.というか、英語をしゃべっているのかすら殆ど分からない。それらの質問を皆で一斉に答えているレジデントを見ていると正直、自分とのギャップを感じて相当面食らってしまった.あそこまで出来るの、日本にもいるかなあと思うぐらい難しい問題だと思うものをレジデントがすらすら答えていた.

MGHでそこら辺にすわっていた叔母ちゃんと話をしながら、食事を食べて、ベスに戻って外来見学をすることになる.
なぜか、昨日見た症例とは異なり,皆難しかった.特に、白人、黒人は例えば炎症のときにも全然色がちがく変化するため,今までもっていた知識を全然つかえ無いような気がして、頭の中が混乱に陥っていった.やばい、こんなことでいいのだろうかと思ううちに忙しく外来は過ぎていき、気がついたら5時ぐらいになって終わっていた.

そのあと、レジデントが、インターネット上で近くにあるテストの問題をを解き始めていたのだが、それも何を議論しているのすら分からないままで,どんどん彼らが正解していくのを見て,どのような過程で学んでいったらいいのかの手探りもなくなったような気がしてまた落ち込んでしまった.

今日はご飯は作るきしないなと、近くのところでナチョ・グランデ食べることにする。普段大好きなこのファーストフードのような食事もそれほどおいしいと思わなかった。

帰りのバスで、頭を整理する.僕は,余り役立たないことを知っていても意味がないし。ここに来て,何を学んで帰ろうか.学ぶにしても病理は途方の無いものであるし、皮膚も良く分からなくなってしまった.それとも皮膚科ではなくて、USMLEの勉強をすべきなのであろうか?と、ぐるぐると頭のなかで、考えをめぐらせた.仕事もしなきゃいけないし、他のこともあるし、どうしたらいいだろう.結論の無いまま、うちに戻り,ちょいとベットに横になったら気がついたら寝ていた.1時間ほどで起きて,終えなければいけない宿題を3時間ほどで終え,前日分の日記を書いて寝る.少し寝て,落着いたみたいだ.たぶん、睡眠不足による一過性の抑欝状態であったのだろう。

写真は明日アップ