poor quality

hisahiccup2005-03-29

poor qualityについて今日は書く予定なのですが,うむ、、、もうちょい待ってください。今回のことは少しcomplicatedです。強迫症状をおさえるために、30分以内で日記を書くと決めていたのですが,,,無理でした.


というわけでここから。
今日は昨日さわりだけの話をしたqualityの授業を聞いた.世界でこの分野では一番の権威らしい。ここ数年ぐらいの医療経営会のトレンドである”医療の質”という言葉は、もとは、工業の世界から生まれたもので,MBAなどの経営学の発達により、日本の質のいいために高くても売れる商品をどのようにしてアメリカで作れるようになるかを目指して作られた。したがって,この分野ではたまに日本語が出てくる。例えば,hoshin planningとか、石川diagramとかはなどがそうだろう。hoshinとか書くと何のことやらと思うのだが”方針”のことらしく、アメリカ人らしく、なぜか”う”が入っていない。じつは、strategic planningとか言う別名もあり、僕にはそっちの方がかっこいく聞こえてしまう。かっこいいのだが、何のことはない、全般的に質を上げようというのではなく、この分野に特化して質を上げようということで,病院の理念とか、患者様層を考えてその関係のbench markを採用して質を上げるということだ.いつも思うのだが、MBAなどというものは名前の使え方がうまいだけであって,結構、小学生なら分かっていて大人になったら忘れてしまうことをもう一度思い出させているだけのような気がする。普通に人間ということを考えればそうじゃんということをSCMとか、コーポレートガバナンスだとか、continuous quality improvementとかいわれると、すごいことを言われているような気がする.あけてみるとあたりまえのことで,少し数式が足されていたりするだけなのだ.それだけ、人間は間違いを犯しやすく、それに対するケアも怠りがちなのだ.組織が大きければその傾向は大きい。つまり、そういうエラーをきちんと探すことが大事だということだ.

今日の授業はすごかった.ほんとにすごくて、しかも、自分の甘さを再認識させられた.やはり僕の理想主義は心の奥底にいつもこびりついているようだ、気を許すと、それが必ず首を上げてくる。まず、授業はNew England Journal Of Medicineの内容を紹介するところから始まる.N Engl J Med 2003; 348:2635-2645〕である。この論文はどのようなことをしているかというと、まず、ランダムに患者をピックアップして,診療録を見せてもらい、その中でエビデンスがあるのにきちんと治療が行われていないケースがどれくらいになるかをチェックしたものである。とてもアメリカらしい研究で,日本でこんなことをして発表をしようものなら近藤先生のように干されてしまう。その結果は,非常に惨憺たるもので、およそ半分のヒトがきちんとした医療を受けていなかったり,20%の人が心筋梗塞のときにベーターブロッカーを与えられていなかったことになっていた.つまり、もし君が病院に行ったとしたら半分の確立でまともな治療を受けないことになってしまうのだ。

僕自身が、この論文に対して思ったことは、”薄々気付いてはいたが、やっぱりか!!!”ということである.実は,僕がアメリカの医療を覗いてみたいと思った理由の一つは、教育のシステムがきちんとしていて,しかも、免許更新性であるため,アメリカならこのようなミスは少ないのではないのかと期待していて,しかも、その方法をできれば見学したいと考えていたからである。しかし、この論文にかかれている内容は、およそ半分ものひとが、きちんとした治療を受けていなかったりするし、2割ぐらいのヒトが急性期に充分な治療がなされていなかった.つまり、殆ど誤診だらけなのである.したがって、僕の見たいと思っていたものは残念ながらここにも、世界中にもないということがはっきりしてしまった.さらに、日本と比べて、言い訳できないのは、アメリカの医師は一人の患者を見るのに30分ぐらいをかけることも多く、しかも、そのかけた時間でお金をもらうこともできる.したがって、忙しいからできないのだとか、給料が悪いからだとかいう言い訳は一切できないことになる。正直、失望した.これならば、まだ日本のほうが一生懸命働いて患者さんの位置に立って話をしているだけ,まだましなのではないか?(長野モデルにはまだ期待をしているのだが,,,)
もう一つ思ったことは、いわゆるfamily practice(家庭医)がきちんと産業として成り立つべきなのだと痛感した.やはり,患者様のinteligenceを上げる一番の方法は患者様の側に立った医師を数多く育てることである.彼らが、きちんと専門医に対してネゴシエートし、いい専門医を選択するならばもっと質のいい医療になるのではないかとも思った.逆にいうならば,訴訟を増やすし、市場原理を導入することでは医療の質を上げることはできないと思う。アメリカと同じ間違いを日本ではしてはいけない.

その授業では、そのあとCodmanとか、Demingの歴史の話をして、昔から医療の質は問題であったとされていたことを話してくれた.しかし、先天性奇形の手術の死亡率は10年前に比べると10分の1ぐらいに減っているし、麻酔などのミスも顕著に減少していて、悪いことばかりではない。医師だってがんばっているのだとホッとさせられて授業は終了した.この授業は今後、どのようにして質というものを定義し、そのようにしてそれを保つかということを学習していくことになるらしい。終わりかけに隠れて写真をとった.

このあとは、リスクマネージメントの授業であった。これは、僕を案内してくれた修士の方による勉強会のようなものである.全日空リスクマネージメントをどうにかして医療界に応用できないかと考えたintroductoryの授業であった.この間,大学で先生たちが見ることになっていたリスクマネージメントに比べ、より論理的にどのような観点でおこなうかの、基本となる考え方が詰まっていた.shel modelであるとか、ヒューマンファクターの話に代表されるように、人間はエラーをするものであるから,どうにかして,そのエラーを、fatalなものにしないようにマネージをする必要が説かれていた。一番の医療と航空会社の違いは、飛行機は何回も繰り返し出発できるのにたいし、医療はそうでない可能性があること,それと、医療の場合にはともすればリスク(誤診)があることに気付かないことが多いことである。これらは,医師の教育と連関して今後一番のトピックになるものではないかと考えた.このレクチャーはなんとなく有名なものであるのかもしれない。いつか機会があったら皆さんも是非見て欲しい.最後に,メールでこの本が良い本であることを紹介していただいた.ヘルスケアリスクマネジメント―医療事故防止から診療記録開示までハーバードの卒業生が書いたものであるらしい。

そこであった医師の方々と夕食を食べながら帰った.帰る途中で、ダナファーバーを見学させてもらった,ここに、同学年の学士の人が来たいといっていたなあなどと思い出す。

今日も疲れていた.明日のことを少しメールで整理して就寝する事にした.