39 hours a dayー日付変更線を超えて

hisahiccup2005-03-25

さて、今日は出発の日だ。昨日の飲み会から、そのまま荷物作りを始める.部屋をかたずけながらするため、結構時間がかかってしまう。5時間ほどかかって,ようやく持っていく服や本が決まった.スーツケース一つと、リュックサック、それから手提げの3つになる.

9時になったので,6週間空ける前に提出しなくてはいけないものを出しに会社に出かける.帰ってきて13時になり、そのまま出発した.3つの物を持って,
旅行をするときに一番いやなことは、この重い荷物だ。はたから見てら、コートでこんなに重いものを持って歩いているのは非常にへんだと思うだろう.どうせ読めない本をどうしてこんなにも入れてくるのかと思うけど、どの旅行に行くときも、いつも本を余分に持っていってしまう。最近はこの悪癖はは僕の本質だと思ってあきらめて共存することにした.ケチなのだ、時間に対して.

意外と成田空港は近く、出発の2時間以上前についてしまった.前回旅行したときは成田だから近いはずだと高をくくって,飛行機がでる15分前に搭乗したことがあったため必要以上に臆病になっていたようだ。成田の乗換えが無かったことも幸いしていたとおもう。荷物の重さを測ると案の定スーツケースは37kgあったため,パッキングをしなおす必要があった.32kg以上は航空会社では受け入れてくれないのだ。

空港の中に入ると国際便の癖に1時間遅れるというアナウンスがある。適当に待っていると、空港で、wireless LANが使えると表示があった.24時間で500yenで、インターネットが使い放題らしい.近くを見ると使っているアメリカ人がいたためその人に交渉して100円でパスワードを教えてもらった.そこから何通かのメールを送り、また、まだ見ぬ家主にこれから出かけるという旨をメールする。

飛行機は,,,非常に狭かった.正直、久しぶりで,ここまで狭いシートであったかとビックリしてしまった.エコノミークラス症候群がおきることも充分うなずいてしまう。前のほうに使っていないシートがあったので,スチュアーデスに頼んでそこに移動させてもらった。必要以上に水を飲み、前日から寝ていなかったので飛行機の中ではうとうとしながら、時に皮膚科の教科書を読んで気がついたら到着していた.

New Yorkについて、荷物をチェックすると、そこに日本人がいて、英語が話せないのでBostonまで一緒に連れて行ってくれないかといわれる。どうも、孫がボストンで生まれたらしく、初めて孫に会いに行くみたいであった.飛行機に乗るだけだと思っていたら、飛行機が遅れて予定が狂って困っているという。まあ、電話ぐらいならかけられるので、と一緒に行くことにした.New Yorkでも、飛行機が1時間ほど遅れていた.アメリカは電車だけでなく、飛行機も遅れるのだ.台風とか雪とかの理由があれば分かるのだが,オイル交換とかが理由で遅れることは日本ではありえないことだと思う。いぜれにせよ、合計で3時間以上おくれて、本来7時につくはずであった飛行機が10時半にBoston空港についた.おかげで飛行機の中からNew Yorkのまぶしいほどきれいな夜景を見ることはできたのだが,(写真化には失敗しました。)それにしても夜の7時と夜の10時では旅行者の行動範囲も、犯罪のおきる率も全然違うため、正直勘弁して欲しい.

情けは人のためならずとはよく言うもので,今度は,僕がお世話になる番であった。日本人の旅行者の家族の車で、家まで送って行ってくれるという.車で、30分ほど,家は思ったよりも非常に奥まった真っ暗な道ぞいにあったため、タクシーで来たら結構大変であっただろうし、また、違う道とかを走られても気付かないので危険でもあったと思う。到着して夜の11時半。家は真っ暗であった.夜中に知らない人の家のブザーを鳴らすのは非常に迷惑だと思うのだが,真夜中にアメリカで真っ暗な道に一人外に出されても困ってしまうので,こっちもなりふりをかまわず、ブザーを10回ぐらい鳴らすと、少しお年を召した白人の女性が階段を降りてきてドアを開けてくれた.

"I am sorry to wake you up."と、多分10回は言ったと思う。ずっと謝りつづけながら、6週間分の家賃900$を払う。その家の子供が降りてきて、僕に緑茶とおせんべいを出してくれ,、ドラえもんの話とか、宮崎駿の話とかを話していた.”コンバンワ。ワタシ、ニホンからキマシタ。ヨロシクオネガイシマス。”と、なぜかたどたどしく日本語で話すと、笑っていた。どうも非常にいい家庭みたいだ。非常に優しいし、その上,夕食を少し作ってくれたし。この家の人は日本が好きなみたいだ.入り口で靴を脱ぐし、すしが好物らしい。例によって,”日本人は実はすしを毎日食わない。”といううわさを聞いたが本当か?と微妙に頓珍漢な質問を受けた。5年前だったら、”何を言うか,毎日すしだ。一日一人は腹切りをしているし、日本は大きく、伊賀と甲賀に分かれて話の文末には”ゴザル”をつけるのだ。ちょんまげが一番いけてる髪型だ。”などと、こっちも頓珍漢な返事を返していたのだが、もう年をとったのだろう。まともに、アメリカ人のロブスターのようなもんだ.と答えておいた.お祝いのときに食べるのが基本だ。

そんなこんなで、寝たのは2時ぐらい。10時間+39時間+2時間の長い一日はこうして幕を下ろす。

そうだ,僕はもうアメリカについているのだ.